新島襄 :WP |
群馬県安中市の新島襄旧宅 :2012/12 |
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新島襄(1843- 1890、47歳)は、同志社大学を創立しました。
群馬県安中(あんなか)藩士です。
福沢諭吉、大隈重信とならぶ明治の教育家です。
幕末、アメリカに密航し、日本人初の学位を取得しました。
アマースト大学では、クラーク博士の授業を受けました。
駐米公使・森有礼(ありのり、初代文部大臣)により、正式の留学生として認可されました。
ヨーロッパにも同行し、各地の教育制度を視察しました。
1876年、山本覚馬(かくま)の妹・八重と知り合い、結婚します。
京都に現・同志社大学を創立し、教育とキリスト教の伝道につくしました。
新島襄は、同志社資金募集のための集会で倒れました。
ベルツ博士の診察では、完全な静養が必要でした。
彼は、死を覚悟して東奔西走しました。
大磯の宿屋で体調が急速に悪化し、夫人と元弟子の徳富蘇峰も駆けつけました。
さらに伊藤博文、渋沢栄一らも見舞いに来ました。
(※)大磯町
湘南の奥座敷・大磯には、「新島襄先生新嶋襄先生終焉之地」の他に、旧島崎藤村邸が現存します。
旧島崎藤村邸は、ひっそりとした住宅街の路地にたたずんでいます。
八重の桜のページ
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