孝明天皇 WP |
孝明(こうめい、1831- 1866、35歳)天皇は、1866年病に倒れ崩御しました。
このとき息子・のちの明治天皇はまだ14歳でした。
孝明(こうめい)天皇の死は、王政復古をめざす岩倉具視による毒殺によるものとささやかれました。
孝明天皇は、強烈な佐幕主義者で、幕府の力による鎖国維持を望んでいました。
政局の収拾をはかるため、異母妹、和宮(かずのみや)が14代家茂(いえもち)に降嫁させられました。
孝明天皇は、徳川慶喜、松平慶永、山内容堂ら中心とする公武合体派を頼りにしていました。
なかでも京都守護職・会津藩主松平容保(かたもり)をとくに厚く信頼していました。
孝明天皇の在位は1846年- 1867年の21年間です。
この間、将軍は12代家慶、13代家定、14代家茂、15代慶喜の4代にわたっています。
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