吉田松陰 :NDL |
長州藩の下級武士に生まれます。
早熟で、幼児からきびしい教育を受け、11歳のときにすでに藩主の前で講義をおこないます。
1848年(満18歳)、藩の師範となります。
1849年(19歳)、九州を遊学します。
1850年、諸国を遊学します。
1851年(21歳)、江戸で佐久間象山に学びます。
1854年(24歳)、佐久間象山の影響で海外渡航をくわだてます。
下田でペリーの軍艦に乗り込み、密航をはかりますが失敗します。
その時の歌です。
「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂.」
(このようなことをすれば、このようなことになることは知っていたが、やむにやまれぬ気持から行動に踏み切った。これが日本人の魂なのだ。)
山口県萩の野山獄(のやまごく)に収容されます。
11人の士族が入獄していました。
吉田松陰はここで、互いに教えあう獄中教室を開きます。
牢役人までが松蔭に弟子入りします。
のちに生家での禁錮となります。
討論型の授業。左端が松蔭 :吉田松陰先生絵伝 |
授業は、上下ではなく、横の関係でおこなわれました。
8畳と10畳のちっぽけなこの塾で吉田松陰が教えたのは2年弱です。
24時間休みなしの熱血塾でした。
松下村塾は、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、久坂玄瑞、井上馨、前原一誠など明治維新の立役者を輩出します。
このちっぽけな塾から、総理大臣2名、大臣4名、県知事4名を出しています。
大老・井伊直弼(なおすけ)による安政の大獄で、反幕行為のかどで、江戸に搬送されます。
井伊直弼は、罪案の「流罪」を「死罪」と書き直します。
江戸で斬首されます。
松陰の思想は、思想と実践の一致です。
真心をもって事にあたれば、道は開けるものだという信念です。
辞世の句です。
「身はたとひ 武蔵の野辺に
朽(く)ちぬとも
とどめおかまし大和魂」
(この身はたとえ武蔵の辺境に朽ち果てるとしても、
とどめて置きたいものだ、私の大和魂(日本固有の心)は)
吉田松陰の伝記を世界で初めて記したのは、R.L.スティーブンスンです。
『ジキル博士とハイド氏』、『宝島』の作者です。
Yoshida Torajiro
松蔭神社 世田谷区
(※)安政の大獄
1858-1859年、井伊直弼が尊王攘夷運動にくわえたきびしい弾圧事件です。
100名以上の公家、大名、志士が罰せられます。
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