感誉存貞(かんよぞんてい、1521-1574 )は、小田原の人で後北条氏の大道寺氏の出身です。
河越城将・大道寺政繁の甥です。
<※ 大道寺政繁は、北条氏康によって河越城将となりました。 >
<※ 「河越」は江戸時代から「川越」となります。>
河越城将・大道寺政繁に招かれ、蓮馨寺(れんけいじ)を開き、蓮馨寺初代住職となりました。
5年後、浄土宗の大本山である増上寺第10世におさまりました。
<* 京都の知恩院は浄土宗の総本山、東京の増上寺は大本山です。>
150名の弟子を擁したといわれています。
弟子の存応は、増上寺の第12世となりました。
存貞の浄土宗伝法は、感誉流伝法と言って、現在も伝承され続けています。
伝法(でんぽう)とは、僧侶になるための仏法の形式、内容のことです。
浄土宗の寺院は全国に7000以上あります。
本山で修行のあと、感誉流伝法を授与されて正式の僧侶になります。
かつては9部門を、1部門3年、計27年かけて学ぶものでした。
存貞は4年で増上寺から蓮馨寺に戻ります。
1582年、秀吉軍が河越をおそおうとした時、存貞が豊臣秀吉に手紙をしたためました。
秀吉からの「河越では今後いっさい、火付盗賊、戦乱はまかりならぬ」との朱印状が蓮馨寺に残っています。
川越の見立寺(けんりゅうじ)、大蓮寺も存貞が開山しました。
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