Thứ Tư, 10 tháng 10, 2012

千葉県の小江戸、香取市(NK2012/10/10)


らいふ

北総の小江戸 舟で巡る
千葉・香取市 町並み保存に住民が動く

 江戸から明治期にかけて利根川の舟運で栄えた北総の小江戸、佐原(千葉県香取市)。鉄道の開通や車社会の進展で町の勢いは衰えたものの、歴史的な町並みの保存に力を入れたことで多くの観光客を呼び寄せている。東日本大震災の被害からの復旧が進む佐原の町を歩いた。
 江戸や明治にできた建造物が集中するのは、JR成田線の佐原駅から歩いて約10分、町の中を南から北に流れて利根川に注ぐ小野川の両岸と、川と交差して東西に走る香取街道沿いだ。
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 小野川沿いを南へ歩くと、左側に1832(天保3)年建築の建物が現れる。油屋として創業し、今はつくだ煮を製造する「正上」。香取街道との角には1855(安政2)年建築の雑貨屋、中村屋商店がある。付近はこうした古い商家の宝庫だ。
小野川を舟で巡ると、川と商家とのつながりがよく理解できる
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小野川を舟で巡ると、川と商家とのつながりがよく理解できる
 「お江戸みたけりゃ、佐原へござれ」。江戸期に佐原はこう歌われた。町並みの保存活動を続ける小野川と佐原の町並みを考える会の佐藤健太良事務局長は「佐原が発展するきっかけは、徳川家康に始まる利根川の東遷にあった」と解説する。
 東京湾に注いでいた利根川を銚子沖に流れる現在の形に変えたことで、銚子から利根川と江戸川を経由して江戸に至る流通路が生まれた。これに伴い、年貢米などは佐原の河岸を通して江戸に運ばれるようになる。また佐原では酒などの醸造業も栄えた。江戸中期には、佐原は現在の千葉県の地域では銚子と並ぶ人口の町になったという。
 佐原の名家の一つが伊能忠敬で有名な伊能家だ。小野川沿いに香取街道を越すと左側には伊能忠敬旧宅、向かいには「伊能図」などを展示する伊能忠敬記念館がある。日本全域を歩き実測図を完成させた後半生に比べ、17歳で伊能家の婿養子となり家業の酒造業を大きくした前半生はあまり知られていない。
 忠敬が当主だったころの伊能家は米や薪(まき)などの販売も手掛け、江戸に店も持っていた。利根川の舟運のおかげで江戸への旅程は2日と交通の便がよかった。記念館の紺野浩幸さんは「忠敬は頻繁に江戸に通っていた。その中で当時、江戸でブームだった暦学や天文学に触れたのではないか」と推測する。
 次に目指したのは、小野川をゆっくりと行き来できる小舟の乗り場。舟からの低い視線で町を眺めると、歩いたときには見えなかったものが見える。商家の前には小さな船着き場がある。そこから酒などを舟に運び込む光景が目に浮かんだ。
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 舟運は昭和初期まで活発だったが、1933年には成田線が全通し、トラック輸送も盛んになり、急速に衰えていった。車社会の発展で中心部の商業が衰えた80年代には、小野川付近の商店から「川にふたをして駐車場に」と要望が出たことすらあった。
中村屋商店など江戸・明治期に建てられた商家が軒を連ねる
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中村屋商店など江戸・明治期に建てられた商家が軒を連ねる
 佐藤さんによると「町の転機は住民に『古い町並みを残すことで観光客を呼び込もう』という機運が生まれ、会が発足した1991年だった」という。96年には関東で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され、2009年には約60万人もの観光客が訪れるまでになった。
 町を歩いて改めて気づくのは、古い建物を利用しながら新しい装いを加味した店が多いことだ。「うれしいのは起業が増えたこと。震災後に新しい店を興した人もいる」と佐藤さんは話す。震災後にできた店のひとつ、小野川に面したワーズワースに入った。外側は古い建物だが中はしゃれた今風のレストラン。中は観光客や地元の人たちでいっぱいだった。
 古い町並みを大切にすることで新しい人たちもひきつける。そんな地域づくりの好循環を目に焼き付けて、町を後にした。
(地方部次長 原孝二)
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<旅支度>バスが便利、予約で案内
 JR成田線の佐原駅へは東京方面から総武線や常磐線経由の快速・各駅停車を乗り継ぎ2時間前後かかる。東京駅と佐原駅などを結ぶ千葉交通・京成バスの高速バスも1日に10便弱ある。
 国宝の伊能忠敬関係資料を収蔵する伊能忠敬記念館(電話0478・54・1118)は駅から徒歩で10分程度。入館料は大人が500円、小・中学生が250円。町歩きを楽しみたいならば記念館近くにある佐原町並み交流館(電話0478・54・7766)に寄るといい。予約すれば町をガイドに案内してもらえる。
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