「現代日本を知るために」(4) 真の二大政党制、実現遠く
2009年に実現した政権交代で誕生した民主党政権は、首相が短期間で交代したり、支持率が低迷したりと混迷を深めています。こうした政治体制はどのように生まれたのか。歴史を振り返ってみましょう。
1955年10月、それまで左右に分裂していた社会党が統一を果たします。次の選挙での政権交代をめざしました。
これに危機感を覚えた保守勢力は、同じ年の11月、日本民主党と自由党が合体して自由民主党となります。
こうして「改憲・安保護持」を掲げる自民党と、「護憲・反安保」を掲げる日本社会党の二大政党制が誕生したのです。
55年のことなので、これを「55年体制」と呼びます。当時の世界は東西冷戦時代。この冷戦が日本国内でも形成されたのが「55年体制」でした。
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二大政党制とはいっても、社会党は政権交代を実現するだけの議席を確保できません。自民党内部の派閥の争いによって首相が代わることが、疑似政権交代の役割を果たすようになります。
しかし、自民党による長期政権からはさまざまな腐敗が生まれます。リクルート事件や東京佐川急便事件です。その結果、自民党以外の8党派が一緒になって、細川連立政権が誕生します。93年のことでした。これにより「55年体制」は崩壊。現在の選挙制度である「小選挙区比例代表並立制」が誕生します。
しかし、選挙制度などの政治改革が実現すると、求心力が弱まり、細川政権は崩壊。その後、自民党と社会党が一緒になった政権が生まれます。両党をつないだのは“反小沢”でした。
自民党が政権を失ったのは小沢一郎氏が自民党を飛び出し、細川政権をつくったから。自民党は小沢憎しです。
一方、社会党は細川内閣時代、小沢氏によって政策転換を余儀なくされることが多く、煮え湯を飲まされることがしばしば。やはり反小沢になっていたのです。
新たに生まれた自民党、社会党、新党さきがけによる連立政権では、村山富市・社会党委員長が首相に就任しました。村山首相は「自衛隊は憲法違反ではない」「日米安保は維持する」と発言します。それまでの社会党の主張を百八十度転換させるものでした。長年の主張が一瞬にして変わるなら、政党の政策とは何なのか。政治不信は一層高まりました。
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村山首相退陣後、自民党の橋本龍太郎内閣になります。細川内閣の誕生で野党に転落していた自民党は、ここに自民党総裁を首班とする政権を復活できたのです。
こうした自社さ政権のあり方に批判的だった新党さきがけの鳩山由紀夫氏は、菅直人氏と共に民主党を結成します。これが、現在の民主党の母体になる組織でした。
消費税の増税や自衛隊の役割など、民主党と自民党の考えには大きな違いがありません。政策が似ている政党が互いに相手を批判し合っている。不思議な政治の風景です。「55年体制」崩壊後、政策の違う2つの政党が国民に選択を迫るという二大政党制は実現していないのです。
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