東京外国語大学長 亀山郁夫さん 「文学は面白くなくちゃいけない」 大学時代、恩師の価値観に衝撃
栃木県の高校を卒業し、1968年に東京外国語大に入りました。ロシア文学研究でスターだった原卓也先生の下で勉強したかったのです。入学後のオリエンテーションで姿を目にして感激し、ロシア語の授業で褒められた時は舞い上がりました。
でも、それは長続きしませんでした。大学紛争が激しさを増すなか、学生側に立ち急進的な考えを採る先生と、保守的で激しいことが嫌いな僕の考えが正反対と分かったからです。憧れの人と価値観が違うことを知り、苦しい日々が続きました。
先生はそんな僕も温かく受け入れてくれました。3年生でゼミに入った僕はドストエフスキーを卒論で取り上げたいと思い、先生のお宅に相談に行きました。暑い夏の日、大きなスイカを提げていった僕が印象的だったようで、先生はその思い出を後々まで話されました。
価値観の違いには苦しみました。先生が酒を飲む時に何度も言っていたのが「文学は面白くなくちゃいけない」。でも僕は文学とは真面目で深く重い存在だと思い込み、納得できませんでした。先生自身が洒脱(しゃだつ)で粋で言葉の端々にウイットがある人で、内気で笑いが苦手な僕はとても追いつけない。先生との触れ合いは幸せでもあり、苦しくもありました。
卒論も「文章が生硬である」と評されました。僕はショックでドストエフスキーから離れ、その後はソ連の前衛芸術やスターリン時代の文化などの研究を専門にするようになりました。
先生の言葉の意味が分かったのは50代。学生当時の情熱を思い出そうとドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の翻訳を始めた時です。重厚なイメージのロシア文学ですが、実際は笑いもあれば洒脱さもある。それに気付き、人に喜びやひらめきを与える文章の書き方を意識し始めました。
くしくも僕にあの言葉をかけた当時、原先生は「カラマーゾフの兄弟」の翻訳を進めていました。先生も文学の面白さを感じ、僕らに伝えたかったのかもしれません。今ならその思いがよく分かります。
僕は今、太宰治に関するエッセーを雑誌で書いています。洒脱そのもので不真面目、と遠ざけてきた太宰を60歳を過ぎて好きになったんです。彼の持つサービス精神が今、びんびん響きます。文学の面白さへの目覚めを促してくれた原先生の一言は本当に大きかったなと思います。
(聞き手は羽鳥大介)
かめやま・いくお 栃木県出身。ロシア文学者。2006~07年に文豪ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の翻訳を出し、古典作品で異例のベストセラーに。07年9月から現職。63歳。
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