http://goo.gl/C7cxv |
ロビー |
談話室 |
フルーツはビュッフェ形式で |
その間、愛想のいいウエイトレスがオーダーとりに来ます。
朝食はなかよしグループで |
麻里子さん手製の花 |
洋服を仕立て中の麻里子さんの部屋 |
当日の行事メニュー |
老人専用マンション(リタイアメントホーム、retirement home)に体験入居しました。
上の老人専用マンションは月2500ドルです。
より高級なところになると、毎夕ドレスアップしてのディナーパーティとなります。
socialization(交流)のシステムが多彩でよくできています。
麻里子(仮名)さんからお話をうかがいました。
アジア人としてただ一人このリタイアメントホームに住んでいます。
走り書きです。未確認部分もあります。
麻里子さんは、岩手県出身、88歳です。
控えめで内気な人柄です。
男1女6人のきょうだいで、 女の2番目に生まれました。
背筋がピンシャンとしています。
桑原-- いつここへ移リましたか?
麻里子-- 夫が10年前に死んで、しばらくしてです。
桑原-- 住み心地はいかがですか?
麻里子-- 快適です。みんなニコニコ。親切にしてくれます。
<* 麻里子さんは、裁縫、日本料理、お花が得意です。
言葉のハンディなど無視です。
廊下に花などを毎週かざって、みんなから声をかけられ、感謝されています。
「芸は身を助く」です。>
桑原-- 戦争前、岩手から上京して、看護学校に通っていて、爆撃を受けたとのことですが?
麻里子-- 日比谷に遊びに行った帰りに、B29に爆撃され、気を失いました。
気がついたら、左顔面は爆弾の破片だらけで真っ黒になってしまいました。
左耳も不自由になりました。
<* わたし(桑原政則)の家も東京大空襲で灰燼に帰しました。
家財道具は空襲前に三重県まで移しておいたのですが、その家も全焼しました。
200回の東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイは、勲一等旭日大綬章を受けています。>
桑原-- どうして、アメリカ人と結婚したのですか?
麻里子-- わたしは、看護の仕事をしていましたが、アメリカ人がきたら陰に隠れてばかりいました。
英語も「ハロー」だけでした。
それが従軍記者に何回も誘われ、そのうち恋中になりました。
桑原-- 1950年に結婚しアメリカへはいつ?
麻里子-- 1952年、マサチューセッツの夫の家へ向かいました。
ニューヨークから汽車で2日かかりました。
一族が迎えてくれました。
とても良い所でした。
イタリア系の義理の両親はどこにでも連れて行ってくれました。
<* イタリア系は気配りが行き届き、日本人に似ているところがあります。
わたしの長男の妻もイタリア系です。
次男の方はドイツ系。日独伊。(笑)>
桑原-- なぜ西海岸に移ったのですか?
麻里子-- 日本が恋しく、日本に近いところに住みたいとのわたしの希望です。
自動車で大陸横断しました。
出かけるとき、イタリア系の母は「息子と何かあったら、マサチューセッツへもどlってきなさい。一緒に住みましょう」といってくれました。
夫は病弱で大事に育てられたので、わがままなところがありました。
サンフランシスコでは、反日感情が強くなかなか家が借りられませんでした。
「いま死にそうになっても、あなたの妻を助けません。」と夫は言われたりしました。
そのとき1世の日本人にいろいろ助けてもらいました。
桑原-- ちかぢか、岩手を訪問されるそうでうが、岩手の実家はどうなりましたか。
麻里子-- 流されました。
地震津波はこれで二度目です。
私が小3のころにも、地震津波があり、村じゅうが流されました。
それに懲りて高台へ村を移したのですが、その村も家も今度の東日本大震災で流されました。
桑原-- …。
大船渡でしたよね。
麻里子--飛行機を乗り継いて、東京で一泊し、花巻の手前の水沢伊佐市で新幹線を降ります。
そこからふるさとに向かいます。
大船渡市の三陸町がどうなっていることやら。
◇ ◆ ◇
日本でうまれ17歳まで日本語で育ったアメリカ人もここに住んでいます。
日本食大好きですが、 日本語をすっかり忘れていました。
カタカナは読めます。
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アメリカの老後 考古学者 小山修三 (NK2012/9/13)
今、アメリカは大統領選にむけての戦いが白熱している。最大の論点はメディケア、医療保険の問題である。民主党は政府のより大きな負担を、共和党は個人の責任を重視する。その背後には、年々ふくれあがる歳費があり、税金、国民年金や公務員恩給制度の既得権が複雑に絡む。税金と老後の生活は日本にとっても切実な問題で、他人事とは言えず、見聞につとめている。
アメリカでは養護施設に入るために、厳しい査定があるらしい。つまり、財産額で生活環境と質が大きく異なるのである。
富裕な層に属する友人の母親は高級な施設に入っている。3階建てで1階には受付、応接室と軽食堂、上階には100室、バリアフリーの2LDKで夫婦または1人が住む。ほかに、レストラン(有料)、社交室、パソコン室、ジムまである。部屋代は月約3千ドル。食事、掃除やケアは別に数千ドルが必要と言う。
これに対し市営の低所得者用施設は、数棟の建物に100室あり、1DKで自炊。家賃は月900ドルだが、300ドルほどしか払えない人が多く、残りは連邦政府が負担する。従業員は6人だけで、文化活動の場はない。友人は酷いと顔をしかめるが、規模的には日本の施設に似ていると思った。
興味深いのはアメリカでは養護施設と医療がほぼ完全に分離されていることだ。医療関係者はおかず、事故や発病のときも事務連絡のみですます。つまり、彼らは老人を病人と見なしていない。日本人は病院好きだと言われるが、底には甘えの構造があるのではないか。日本の特養も見学したが、ケア時の世話がすぎる印象を受けた。私たちも、できる限り自分の事は自分でやるという精神に学ぶべきではないだろうか。
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