Thứ Bảy, 15 tháng 9, 2012

梅原猛:自然と共生する文明の構築を(NK2012/1/7)


これからの哲学 梅原猛さんに聞く
自然中心が人類存続の道 孤独恐れず真理追究

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2012/1/7付
日本経済新聞 夕刊
2416文字
 エネルギー問題は文明の問題であり、哲学の問題だ
 京都・東山の山裾を巡る「哲学の道」の近くにある自宅で、哲学者・梅原猛さん(86)は西洋の哲学書を読み進める日々を送っている。人間中心主義の西洋近代哲学を超え、人類が存続できる文明の基盤となる自然中心主義の哲学を模索している。
 「西洋近代哲学は、フランスの哲学者デカルトの言葉『我思う、故に我あり』に象徴される。『我』つまり人間中心主義だ。自然は人間の理性に対峙するもので、自然科学的な法則で抽象化してとらえられるとした。この思想にのっとった科学技術の発展は豊かで便利な社会を生み出した。現在の科学技術文明です。だが、デカルト哲学は人間の自然支配を肯定したから、深刻な地球環境の破壊ももたらした
 近代文明と西洋哲学の打開の糸口は、「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」で表現される天台本覚思想に見いだせると考えた。人ばかりでなく草木や動物、鉱物なども含めた森羅万象が仏になれるとする自然中心主義の思想だ。平安時代の終わりに生まれた思想で、鎌倉新仏教の浄土、禅、法華共通の思想的前提になった。
 「ただ、天台本覚思想だけでは足りないと感じて、新しい哲学の構築に踏み出せずにいたところ、3年ほど前にエジプトに旅をしてヒントを得た。古代エジプトの宗教は太陽の神ラーと水の女神イシスを中心にしている。エジプトの神学を頭に置いて仏教の教義や体系に思索を重ねていると、天台本覚思想の根底にも太陽崇拝があることに思い至った」
 「私の中で自然中心主義と太陽の思想が合わさったことは重要だった。エネルギー問題を包含する新しい哲学の土台を得たと感じた。科学技術文明の主なエネルギー源の化石燃料は、太陽の恩恵を受けた動植物の死骸の堆積物。環境問題の面から、化石燃料を介さずに太陽や自然の恵みをもっとじかに受けるにこしたことはない。自然を支配するのではなく自然と共生することで、人類は末永い繁栄を図れる」
 今回のひどい原発事故を受けて、脱原発の道を模索するのが道理だ
 東日本大震災からの復興ビジョンを策定する「復興構想会議」の特別顧問として、昨年上期は毎週の会議に体調を崩した時以外は出席した。
 「初会合の冒頭、五百旗頭(いおきべ)真議長から『原発問題は論じない』と話があったので、私は会議主宰者だった当時の菅直人首相に『そんなバカなことがありますか』と詰め寄ったんです。他の委員からも疑義が出て、原発問題を扱うことになった。菅首相が原発再稼働に耐性検査を求めたのはは、会議の議論も影響したはずだ。会議の模様は時が来たら、書こうと思っている」
 「原子力エネルギーで賄っている電力の部分は、太陽光・風力・地熱などの再生可能エネルギーに徐々に切り替えていくべきだ。再生可能エネルギーでつくった電力の固定価格買い取り制度ができたことも、脱原発の後押しになる」
 再生可能エネルギーは常に発電コストが問題視される。加えて、人口の増加で世界のエネルギー消費量の伸びが確実視されることも、原発の必要性の論拠になっている。
 「原子力エネルギーは放射性廃棄物という難題も生み出した。必要は発明の母。原子力や核融合研究に投じている莫大な予算を振り向ければ、低コストの再生可能エネルギーの開発は可能だと思う。エネルギーを浪費しない生活も考える必要がある」
 「哲学は人類がどう生きるかを考える学問です。私は人類が存続できる文明の基盤となる新しい哲学が、いまこそ求められていると思う。原子力エネルギーから脱し、かつ環境破壊を克服できる文明のあり方を示せれば、原発事故で傷ついた日本の誇りを回復できる」
 思索は孤独な作業で、新説が学界に受け入れられるとは限らない
 梅原さんは若いころ、ドイツの哲学者ニーチェの精神の三様の変貌という思想に感銘を受けた。自ら何かを創り出そうと思えば、まず知識を習得する忍耐の時期、続いて論争に挑む勇気の時期を経なければならないと説いているという。自身も大家に次々と論争を挑んだ時期があった。
 「後進には『ボスの顔を見ずに真理の顔を見ろ』と言ってきた。真理を追究しようと思えば、学界での孤立を恐れてはいけない。大体、新しい理論がすぐに認められるわけがない。孤立しても頑張る勇気と誠実さがないと駄目だ。それができないのなら学問をやめるべきです。私は西洋哲学の解釈に終始するのではなく、自らの説を打ち立てる哲学者になろうとしてきた」
 「学問的なひらめきを体系化するための帰納とか演繹(えんえき)の過程は、徹底的に調べる作業を伴うので非常に苦しい。でも、執念でやり続ける。『新しいものを見つけたぞ』と言えたときには、とても楽しい思いをできるんです」
 今年3月に87歳になる。60歳で大腸がん、72歳で胃がん、81歳で前立腺がんを患ったが、克服して論考を発表し続けてきた。これからの1、2年は能の大成者・世阿弥と中世の思想家・親鸞の研究に精力を注ぎ、その後、新しい哲学の確立に本格的に取り組む考えだという。
 「交遊のあった漢字研究者の白川静さんは90歳を過ぎても研究意欲は全く衰えず、何冊も著作をものにした。私もと考える姿だ」
 「繰り返しになりますが、今回の震災にはエネルギー問題が合わさっての文明災の側面がある。言い換えるなら、豊かで便利な生活を享受しようとする現代人の欲望の負の産物です。震災を受けて私に何ができるかといえば、人間が自然を支配するのではなく、自然と共生する文明の原理を考えることだ」
(編集委員 小橋弘之)
 うめはら・たけし 哲学者 1925年宮城県生まれ。京都大学卒。哲学から日本古代史・仏教の研究に入り、「隠された十字架」「水底の歌」などを執筆。現在は中世の文学・芸能としての能楽も研究している。京都市立芸術大学学長、国際日本文化研究センター所長などを歴任。99年に文化勲章を受章。

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