原子力、輸入技術の弱み
「現代日本を知るために」(1) 安全とコスト永遠の課題
今回から「現代日本を知るために」と題したシリーズが始まります。東京工業大学の1年生向けのこの講義では、戦後の日本がどのように成長・発展してきたかを振り返ることで、現代に残された問題を考えていきます。あなたが生まれる前、あるいは幼少の頃の日本はどんな道を歩んできたのでしょうか。1回目は戦後の原子力開発と事故について取り上げます。
いま日本の科学技術への国民の信頼が揺らいでいます。過去に大津波が襲来していた事実を発掘しながら、大津波対策として結実せず、東日本大震災では大きな被害を出してしまいました。専門家の研究成果が、人命を救うために役立てられなかったのです。「想定外」との言葉の氾濫に、日本の科学技術の弱さを感じてしまいます。
東京電力福島第1原子力発電所の事故でも、日本の科学技術が問われました。
この最初の原子炉は、米国のGE(ゼネラル・エレクトリック)社製造です。導入当初は、日本の原子炉技術が未熟だったため、GEの指示通りに建設が進められました。巨大地震による大津波の被害に対する認識が乏しい米国のこと。非常用電源の設置にあたって、津波への備えは考慮されていませんでした。
日本独自の技術とノウハウの蓄積がない施設の脆弱さが明らかになってしまいました。
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もちろん海外のノウハウを導入するというのは困難がつきまといます。とりわけ海外の本社が作ったマニュアルの順守が求められます。
たとえば東京ディズニーランドの建設に当たっては、米国本社側から「制服を着た客は入場させないように」とのマニュアルが示されました。「夢の国」に制服姿の団体がいては夢が覚めるというわけです。
これには日本側が抵抗しました。制服を着た客を断ったのでは、修学旅行生を受け入れることができないからです。そもそも制服がない米国の高校生。高校生が制服で一斉に旅行するなど、米国本社の理解を超えていました。でも、米国本社を説得できたおかげで、東京ディズニーランドには大勢の修学旅行生が全国からやってきます。
日本の文化・風土に適した技術をどう開発・発展させていくのか。それが大きな課題なのです。
第2次世界大戦で広島と長崎に原爆を投下された日本は戦後も被害を受けます。1954年3月、米国の水爆実験のため、遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員たちが被爆し、死者まで出ました。これ以降、原水爆禁止運動が盛り上がります。
その一方で「原子力の平和利用」としての原発建設への準備は進められていきました。
原発の建設には反対運動が起きます。原発建設のためには、どうすれば住民の納得が得られるのか。そこで生まれたのが「電源三法」という法律です。電源開発が行われる地域に対して補助金を交付して、建設を促そうという法律です。原発を受け入れるならば、その地域に補助金を出しますという仕組みです。
原発導入の候補地となるのは過疎地ですから、若い人の働き場所がありません。みんな都会に働きに出てしまいます。原発ができれば、とりあえず雇用が生まれ、地元に働き場所ができます。この仕組みによって、原発を受け入れる市町村が出てきます。
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しかし、「安全」なはずの原発の事故も起きます。1979年には米国のペンシルべニア州スリーマイル島の原発で事故が起き、放射性物質が外部に漏れて周辺住民が避難。パニックになりました。
世界を震撼(しんかん)させたのは1986年の旧ソ連のチェルノブイリ原発事故です。爆発によって大量の放射性物質が飛散。死者を出し、いまも汚染が続いています。
1999年には、茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)の東海事業所で臨界事故が起き、作業員2人が死亡しました。
そして2011年3月の東日本大震災に続く東電福島第1原発事故。いまも多くの人が避難を余儀なくされています。原発反対の運動が大きく盛り上がっています。
今回の事故では、事前にとられていた安全対策がコストを考えて不十分なままだったのではないかと指摘されています。
過去には別の産業でも、わずかなコストダウンを図るために安全性が損なわれるという事態が起きています。安全性とコストダウン。これは永遠の課題です。
君たちがやがて社会に出ると、技術者や科学者として、安全性とコストダウンのはざまで悩むことが出てくるはずです。そのとき君は、どんな態度を取れるのか。そのことをこれから考えてほしいのです。
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